2. 定義
2.1. ナビゲーション医療機器 (navigational device)
ナビゲーションを行う目的で使う精密手術用機器あるいはその部分
【解説】 手術ナビゲーションシステムや画像誘導手術ロボットシステムなど。
2.2. ナビゲーション医療機器システム (navigational system)
ナビゲーション医療機器と、これを運転(操作)する人を含めた系
【解説】 本ガイドラインでは、リスクマネジメントを機器単体で行うよりも、機器とこれを運転(操作)するプロフェッショナルとしての医師 を含む系(システム)全体で行うべきとの立場に立つ。そこで、マン—マシンシステムの品質担保とその設計指針を論じる。
2.3. 精密手術用機器 (devices for precision surgery)
計測、解釈、情報提示あるいはエネルギー作用を行う処置あるいは治療用システム(あるいはその一部)で、その主要機能が位置および/または時間情報に関連付けられていることを特徴とし、主要機能を位置/時間情報に関連付けて記録可能で、精密・迅速・高品質の手術支援を行うことを目的とするもの。
【解説】 ナビゲーション医療分野 開発ガイドライン(2007)より。元は日本コンピュータ外科学会のガイドラインの定義による。
2.4. ナビゲーション品質 (quality of navigation)
ナビゲーション医療機器が、「その提供するサービスが期待通りに機能すること」の度合い。
【解説】 括弧内は、情報システムなどの分野でのディペンダビリティの定義である。参考:IFIP WG10.4 n DEPENDABLE COMPUTING AND FAULT TOLERANCE
The notion of dependability, defined as the trustworthiness of a computing system which allows reliance to be justifiably placed on the service it delivers, enables these various concerns to be subsumed within a single conceptual framework. Dependability thus includes as special cases such attributes as reliability、 availability、 safety、 security. http://www.dependability.org/wg10.4/
2.5. (ナビゲーション医療機器システムの)ディペンダビリティ (dependability of navigational system))
ナビゲーション医療機器システムが、ナビゲーション品質を維持する仕組みを持っていること。
【解説】 本ガイドラインではナビゲーション品質をシステムとして(機器だけでなく)これを操作するプロフェッショナルとしての医師を含む系全体で維持する仕組みを重視した。従って「仕組み」には機械装置やプログラムだけでなく、装置運転操作者による操作なども含む。
2.6. 標的位置誤差 (Target Registration Error、 TRE)
実際に位置合せしたい手術において位置を知るべき標的位置(target)における誤差
【解説】 計測とは既知の基準との比較である。ナビゲーション医療機器における位置計測も、既知の基準物(物差しや計測用マーカ、画像など)を検出し、これを元に患部(標的)の位置を間接的に得ている。しかし、真に知りたい位置はこれらではなく患部のそれである。標的点の位置計測の持つ不確かさは、計測用マーカ、計測用ポインタ、画像などのもつ位置計測の不確かさを累積したものとなる。
画像との位置合わせを行うナビゲーション医療機器の場合、画像の不確かさを含めて評価しなければならないが、普通は画像装置とナビゲーション装置を組み合わせてシステムとして提供することはしないため、ナビゲーション医療機器だけでは TRE を求める規定とすることができない。一般に、使用環境を規定しないと TRE を求めることはできない。しかしこれでは機器の性能を記述するのが困難になってしまうので、次の単体標的位置誤差を定義する。
2.7. 単体標的位置誤差 (stand-alone Target Registration Error)
ナビゲーション医療機器の標準状態における標的位置誤差。単体TRE
【解説】 ナビゲーション医療機器のみで TRE を求めるために、系統誤差が無視できる程度にコントロールした条件で、設計した使用手順に沿って評価して得られる TRE である。ただし臨床実態からかけ離れた条件にしては意味がない。
Fitzpatrickはn個の基準点の位置計測が持つ誤差(基準位置誤差)が等方性の正規分布を持つ場合に、標的位置誤差を数学的に推定する方法を提案しており、ナビゲーション医療機器の誤差の評価方法として現在広く用いられている (FitzpatrickのTRE)。
3. ナビゲーション医療機器システムの性能担保の基本的考え方
3.1. ディペンダブルであること
1) ナビゲーション医療機器システムの性能担保の手段としては、ディペンダブルであること(ディペンダビリティ)は非常に有効であることが強く望まれる。
2) ナビゲーション医療機器システムのディペンダビリティその条件は次の二項を満たすことである。
i) ナビゲーション品質の可視化手段を備える。
ii) ナビゲーション品質の回復手段を備える。
【解説】 ディベンダビリティとは、システムの提供するサービスを「信用して良い」と確信して使えることである。
(例)
「手術のターゲットはある動脈である。2cmほど離れた所に、よく似た別の動脈があることが解剖学的に分かっている。手術中、動脈が見えているが、今見えているのはターゲットか」
この問題を解決するためには、「間違いなく高々 1cm以下の不確かさを持つ測定値」が必要である。すなわち、不確かさはかなり大きくても構わないが、万が一にも大間違いをしていないことを外科医が信じられる、ということが必要である。
不確かさを見積もることは統計学で可能であるが、「間違いなく」おさえることは統計学で困難である。
情報システムの分野では、システムがノンストップでサービスを提供することを重視している。このため、システムの維持とその仕組みがマンレスであることが望ましいとされ、オペレータ運転者の気づきなどに依存したシステムは信頼性を欠くものと受け止められている。
一方、ナビゲーション医療機器において回避すべき最も重大な問題は、可用性の維持ではなく、「間違った情報に基づいて手術を進めた結果、挽回困難な状況に陥ること」である。手術は連続で一日を超すことは例外的であり、これを人(医師)の主導のもとに行うので、マンレスであることも連続運転可能なことは first priority ではない。この違いのため、情報システムの分野とは、ディペンダビリティとそれを支える仕組みが異なってくる。 ●ナビゲーション品質の可視化手段:「信用して良い」と確信できるためには、システムは、信じるための根拠を操作運転者に提供しなくてはならない。また、 提供されたものが根拠たりうるためには、「信用して良い」という信念が正しくなくなったときにはすぐにそれと分かるように提供されることが必要である。一方、「信用して良い」かどうかの判断は用途や状況によって異なる。同じシステムを使っていても、1mm以下の不確かさを要求する場合もあるが、1cm 以下の不確かさで十分な場合もあるからである。そこで、「信じるための根拠」を不確かさの程度が分かるように提供すれば、操作運転者は用途に応じた柔軟な判断ができる。
●ナビゲーション品質の回復手段:「信用して良い」とは言えなくなった場合には、少なくとも、ナビゲーションシステムの使用を諦めるという選択肢がある。それしか選択肢がないシステムは、いつ使用を諦める事態になるかも分からないのだから信用できるとは言えない。すなわち、信用できるためには、使用中に随時、比較的簡単な操作によって「信用して良い」と言える状態を回復する手段をシステムが備えていることが必要である。ナビゲーション医療機器では、回復手段は主に通常、キャリブレーション(較正)あるいはレジストレーション(位置合わせ)をやり直すことである。
3.2. 誤差の考え方・扱い方
3.2.1. 「精度」を性能表記で使うのは避ける
「精度」という用語を機器の性能表記で用いることは避けるべきである
【解説】 JIS Z8103「計測用語」(ISO 3534 : Statistics - Vocabulary and symbols)では、「精度」を「測定結果の正確さと精密さを含めた測定量の真の値との一致の度合い」としている。この定義は正確さと精密さの両方を区別しないまま含む概念であるため、機器の性能表記に用いると曖昧になる。
例えば、「精度1mm以上」という場合、1mmより良いことなのか悪いことなのか、意味不明である。また、1mm程度に正確なのか、データのばらつきが1mm程度の中に収まっているのか(正確さが1mm程度なのかとは別)も判らない。
このような曖昧さを回避するため、再現性や平均誤差により示す方が良い。
なお、「精度」という表現を一律に止めるように要請しているわけではない。Wikipedia では「一連の個々の測定/値/結果における許容できる程度を示す用語」と表記している。実際の「精度」という言葉の使用もこの意味で用いられていることが多い。技術用語としての定義を附録に収録する。
3.2.2. ナビゲーション医療機器の性能表記
ナビゲーション医療機器の誤差に関する性能は、単体TREの平均二乗誤差で表記することができる。
【解説】 「通常の使用状態」とは、系統誤差が無視できる程度にコントロールした状態で、設計した使用手順に沿って使用する状態を指す。これが、その機器における「標準状態」(JIS Z8103「計測用語」の用語)となる。単体 TRE は、系統誤差が無視できる程度にコントロールした条件で、設計した使用手順に沿って評価して得られる TRE である。ただし、臨床実態からかけ離れた条件にしては意味がない。
ナビゲーション医療機器の使用手順の設計に当たっては、TREが患者の体格などに左右されることをなるべく避けるように設計することを推奨する。そのように設計されていれば、その機器の性能が患者群に依存しないことを臨床評価などによらずに説明可能となる。
具体的には、レジストレーション時のマーカ位置が患者の体格等に依存しない(フレームなど一定の大きさの物にマーカが付いている、マーカを患者に貼付する際は、患部から一定の距離や配置にすること)である。
別の方法として、患者群を規定して最も厳しい条件を想定して、その場合の TRE によって性能を表記する方法がある。この場合、その条件を逸脱する患者を適用から除外しなければならないといった非現実的な運用を求めねばならず、お奨めできない。
3.2.3. 偶然誤差の担保だけではナビゲーション品質の担保とならない
性能表記が、標準状態における偶然誤差のみを考慮したものであり、実際の使用条件下では様々な系統誤差要因が存在しうること、その対策としてナビゲーション品質の可視化手段と回復手段が提供されていることを情報提供すること。
【解説】 統計的に表現できる誤差は偶然誤差までであり、これ単独では実用にならない。ナビゲーション医療機器の実用面で問題となるのはもっぱら系統誤差であり、これを TRE の概念を使って予想することはできない。一部の系統誤差は、原理的には計測器を増やすなどの手段により対策可能であるが、コストが便益以上に増加して、現実的対策といえない。
この問題をカバーするために、ナビゲーション品質の可視化手段が提供されており、それらに適切に対応することが使用者の責務であることを情報提供すること。
例1: 脳神経外科手術にて、ブレインシフトが生じた結果、機能領野などが術前の断層画像と異なる位置に移動した。
例2: レジストレーションの際にピックすべきマーカの順番を間違えた。
例3: レジストレーションに用いたマーカが手術の進行に伴って、外さざるを得なくなった。
4. 設計指針
4.1. マンマシンシステムとしてのシステム設計
1) ナビゲーション医療機器の開発に当たっては、機器単体でなくナビゲーション医療機器システムとしてデザインレビュー、リスクマネジメントおよびデザインレビューを行うべきである。
2) ディペンダビリティは、設計段階において機器の使用方法を含んだ形での実現を含めて検討しなければならない。
【解説】 本ガイドラインではナビゲーション品質をシステムとして(機器だけでなく)これを操作するプロフェッショナルとしての医師を含む系全体で維持する仕組みを重視する。開発者は設計段階にて、
1) ナビゲーション品質を可視化あるいはその他の術中に合理的に実施可能な(判断基準を使用者自身が説明できる)方法で使用者に呈示する、あるいは検出させる手段、
2) ナビゲーション品質を回復する術中に合理的に実施可能な手段、の提供を検討しなければならない。
良くある失敗は、基本設計機能試作が終わってから後付け(retrospective)に設計にディペンダビリティの解釈を加えること、後付けでディペンダビリティを持たせようとすること、後付けで機器の使用方法にディペンダビリティのための変更を加えることは、避けるべきであるで、結局設計のやり直しなどにつながってしまう。
4.2. マンマシンシステムとしてのリスクマネジメント
リスクマネジメントでは、ナビゲーション医療機器システムとしてディペンダビリティが確保できているかどうかを評価する。具体的には、
1)ISO 14971 (JIS T14971) 6,3 節の「リスクコントロール手段の実施」において、ディペンダビリティの可視化手段と回復手段を、注意喚起ではなくリスク低減手段として適用できる。
2)そのために、ディペンダビリティの可視化手段および回復手段の成立条件と操作者の果たす役割について開示教育する。
【解説】 ナビゲーション品質の可視化手段、ナビゲーション品質の回復手段が、目的とする術式とその環境の中で合理的な手段であることを、他の既知の幾つかの手段と比較して検討する。これをリスクマネジメントプロセスに組み入れて実施する。ナビゲーション医療機器システムはマンマシンシステムであるから、リスクマネジメントもマンマシンシステム全体としてリスク評価、リスクコントロールを行うべきである。機械システムの不具合と対策と言う観点のみでリスク評価とリスクコントロールを行うと、ナビゲーション品質の可視化は操作者への注意喚起と見なされ、リスク低減効果を持たない。
現行のISO14971では、機械システムの完全化によって安全を達成しようとする傾向がある。結果として、プロフェッショナルとしての医師が常識的に備えている危険回避能力に重きを置かない傾向があり、誤って解釈すると過度な安全メカニズムをつけることによるコスト増や、残留リスクのみを見て経営トップが企画中止を決断するなどの事態に繋がりかねない。
外科医の危険回避能力の本質は、神業的高度なテクニックにあるのではなく、「高度神業的なテクニックや機器の信頼性、可用性に依存するほかに手段がない状況に陥ること」(クリティカルポイント )を事前に回避することにある。何でも外科医の危険回避能力に依存する製品は市場が受け入れないが、これを過小評価する製品も市場で生き残れない。
マンマシンシステムとしてディペンダビリティが確保されているならば、事象発生の確率が下がるはずであり、ディペンダビリティの概念を導入する積極的理由となる。
なお、本ガイドラインではこの考え方に立ったFMEAシートの例を附録している(附録3)。その FMEA シートでは、機械単体の FMEA プロセスと、ナビゲーション医療機器システムとしてのFMEAプロセスの2段階のFMEAプロセスとなっている。 |